世界で最も有名なアイコンと言えば、イエス・キリスト。

イエス・キリストはゴルゴダの丘で十字架に磔刑に処され、埋葬されたが3日後に復活したと言われている。
でも、もしかしたら、「こんな可能性」があるかも・・・?
・・・というのが今回のお話。

簡単に言うと、イエス・キリストさんのお墓が、あるんです。ここ日本に。しかも青森県に。

「え?イエス・キリストさんのお墓が青森にあるの?なんで?」

ってなるでしょ?

まず日本にお墓があるのが意味わかんないけど、まぁ確かに『聖おにいさん』読むと、立川の松田ハイツに住んでたし可能性は0じゃあないかも。

という訳で、今回の記事は青森県は戸来村にある、キリストの墓についてのお話です。

まずはこの戸来村の読み方について軽く説明しておこう。
文字で戸来村と書いてあると「とらいむら」と普通は読むだろうけど、実はこれ「へらいむら」と読む。へらい・・・。
そう言われたら確かに「ヘブライ」に語感が似てて何やら関わりがありそうな怪しげな響きだ・・・。

私は以前オカルト系の本を読んでいてキリストの墓というものが東北のどこかしらにあるという話を読んだ事があったので、その記憶だけは頭の片隅に残っていた。
で、数年前、相方と北海道を目指し車で旅をしていた時に、青森県を走ってたらたまたま「キリストの墓」って案内の看板を見つけて、一気にテンション上がって「ちょっ、寄ってこうよ!キリストの墓!!ほら!あのキリストのお墓だよ!」と強引に相方を説得し、予定を変更したのだった。

実際に行ってみた。
ちゃんと駐車場があった。


案内板。へ~、これがキリストの墓公園の全体図か~・・・、って公園なのかよ!


ん・・・待てよ?この公園の全体図の形・・・、まさかキリスト教を象徴する魚の形・・・イクトゥスを模している・・・のか!?
だとしたら、侮り難し!

これがイクトゥス。公園の全体図と似てる気しません?

お目当てのお墓まではどんな感じなのか期待を胸にふくらませながらほんのり歩く。
すぐ着いちゃったらつまんないもんね。


こんな看板を発見。
「ナニャドヤラ廻道 伝説とロマン街道ゾーン」?
なんにゃそら?


看板下部に新郷村とある。
どうやら現在は住所が青森県三戸郡新郷村大字戸来となっているみたい。

少し説明文をアップで。


んーなになに・・・、「古文書によると、ゴルゴダの丘で磔刑に処されたのは弟のイスキリであり、キリスト本人は日本に渡り、ここ新郷で106歳の天寿を全うしたというのです。」

・・・・・・。
色々とツッコミたいんだけど、まず一つだけ。
古文書って一体どの古文書だよ!古文書って言っておきゃ信憑性が増す訳じゃあねーかんな!
これは・・・、何やら先が思いやられる予感。

歩いて行くとこんな建物が。
案内板によると、キリストの墓伝承館だそうだ。中には入る気はしなかった。
建物には十字架ではなく、5角形の星型の紋章が飾られている。


建物の向かいには、歌碑がいくつか並んでいた。


では、早速お見せしますが、これがかの有名なキリストの墓だそうです!

意外にも、かなり質素な佇まいでした。


んで、続いてこちらが説明の看板!


看板をいちいち読むのがめんどくさい人の為に要点をまとめると・・・。

・イエス・キリストは21歳の時に日本に渡り、12年間神学について修行し、33歳でユダヤに帰った。

・十字架に磔刑に処される時は、たまたま弟のイスキリが身代わりとなった。

・磔刑から逃れたキリストは艱難辛苦の旅を続けて日本に再び訪れ、戸来村に居をかまえ、106歳で没した。

・以上は、イエス・キリストの遺言書によるものと謂われております。

戸来村さん・・・。正気ですか!?

正気でもどっちでもいいけどとりあえず英語の説明やめて!海外の人が理解できるよう英訳しないで!

こちらはその弟イスキリさんのお墓。

こちらも同じく質素な作りで、キリストの墓の真向かいにあった。

驚く事に、ちゃんとエルサレムから友好の証として寄贈された記念碑まである。


とまぁ写真は以上なんですが、こっから先は一度冷静になって、Wikiからの情報も交えて色々と考察してみたいと思う訳です。
まずは戸来村からの主張を、Wikiから抜粋して箇条書きでまとめてみました。

①竹内巨麿(たけうちきよまろ)が竹内文書に「イスキリス・クリスマス」の遺言があるとし、このイスキリス・クリスマスがイエス・キリストであり「十来塚」が「イエス・キリストの墓」であるとした。

②「古代史書研究会」が来村、戸来村の村名は、ヘブライに由来するとした。

③日本画家の鳥谷幡山が、日蓮行者で降霊術師の小松周海に招霊を依頼し、「キリストの妻の名はユミ子、娘が三人いる」との答えを得、その子孫が村の旧家の沢口家であるとした。

④その沢口家に伝わる家紋は「桔梗紋」と言われる五角の形であり、ユダヤのシンボル六芒星である「ダビデの星」と酷似している。(先ほどの伝承館という建物にあった紋章)

⑤戸来村では子供の額に健康祈願などの意味合いを込めて墨で黒い十字を書く風習があった。

はい。
・・・はい。
もうお腹一杯です。
竹内巨麿って誰だよとかなんで日蓮行者に依頼すんだよとか妻がユミ子てとか五角形と六芒星を酷似してるてとか登場人物全員怪しいじゃねーかとかいちいちツッコむ気力もないですほんとうにありがとうございました。はい。

ちなみに、①番にある竹内巨麿って人、どうやら天津教とかいう新興宗教団体の教祖らしい。
*(前述の看板の写真には武内巨麿と記載されているが、調べる限り、竹内が正しいっぽい)

「竹内文書によると」て・・・。
あれか、さっきの看板に書かれていた例の古文書ってのが竹内文書だな。
ってことはつまり新興宗教の教祖サマがこのキリストの墓説の言い出しっぺってことだ。

こんな竹内文書とかいうトンデモ文書がこの説の基になってるって時点で、キリストの墓としての信憑性が・・・。
いや、私みたいな素人はもう何も言いません。

ついでに、竹内文書についてのWikiのページもあって、それによると、モーセの墓は石川県にあるそうです。
こうなりゃモーセの方も探しにいったろかしら。

他にも、気になった関連事項を他にも調べたんで一応ご紹介します。
あ、私は無宗教で今回ちょっとキリスト教について少し調べただけなので間違ってたらすいません。

<個人的な疑問その1.イエス・キリストにイスキリという弟はいたのか?>

・『マタイ福音書』及び『マルコ福音書』から、イエスにはヤコブ、ヨセフ、シモン(シメオン)、ユダの4人の弟がいたとされる。
(*ただし、聖母マリアの処女性を考慮するとそれらの兄弟は異父兄弟もしくは異母兄弟でなければならない、とある。)

結論:まずもってイエス・キリストにイスキリなんていう弟などが存在がした情報源が見つけられない。なお、イスキリという単語で検索してみても、この戸来村のキリストの墓関連のページしか見つからず、他の信頼性の高いソースからのイスキリという存在の記述が見当たらない。

<個人的な疑問その2.イエス・キリストの遺骸はあるのか?>

・イエス・キリストは磔刑の3日後に復活し、40日後に昇天したとされているため、遺骸は信仰上存在しないという説が主流のようだ。
他に、人間(肉体)としてのイエスと神の子(神性)としてのイエス・キリストとは別で、ヨハネから洗礼を受けて神性が宿りイエスは神の子となったが十字架に磔になって神性は離れ、肉体はもうイエス・キリストではない、つまり遺骸は無いという説もあるようだ。

結論:どちらにしても、イエス・キリストの遺骸があるとは信じがたい。まして、日本の青森県に渡ってきて、106歳で天寿を全うしたなどとは。


色々調べていると、キリストの墓がここにあるって主張してる場所は戸来村だけじゃなく、同じような話が世界各地に点在しているのがわかった。
世界で最も信仰されている宗教の一つだから、ちょっとした偶然の一致が、信仰の深さ故に、拡大解釈されていってしまうのかなと感じた。

さらに調べてるうちに日ユ同祖論とかまで話が広がって、なかなか勉強になった。

ま、でも個人的には正直どっちでもいいんです、この戸来村にあるキリストの墓が本物かどうかは。

オカルト的な観点から面白いし、何より信仰の対象は人それぞれだもんね。

「これに関してはこれ以外一切の説を認めない!」って四角四面の決まりきった世の中より、源義経は海を渡ってチンギス・ハーンになったとかの伝説があった方がロマンあってナニャドヤラ。

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