ここまで5回に渡ってインドのバラナシという街についてご紹介してきました。

今回はバラナシについて最終回。
ガンジス河に昇る朝日の様子を中心に。

<関連記事>
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混沌の一切が流れていく街 バラナシその5<プージャ>

バラナシに来たヒンドゥー教徒の人達はガートで東を向いて立ち、お祈りや沐浴をする。
沐浴は朝日に向かってするのが良いとされているため、日の出前の早朝から人々はガートに集まってくる。

この写真は既に日の出後の写真なので、沐浴の参考写真みたいなものですが。

ボートに乗って朝日を拝む人もたくさんいるので、ボート漕ぎのおっちゃんも早朝からスタンバイしていて、朝早くからいくつかのボートが河に出始める。
ほんのりとした朝焼けの色が流れの穏やかなガンジス河に映って、手漕ぎボートが横に流れていく。

ガンジス河の対岸のずっと向こうからオレンジ色の朝日が姿を現した。

段々と色が濃くなってくる。朝日を対岸で見ようとしている人達を乗せたボートがもうすぐ対岸に到着するところだ。

視界がオレンジ一色に染まる。ビルなどの建物が無くてモヤがかかっているから光りが拡散しているみたい。

いつ見ても日の出ってのはいいなぁ。なんかこう、清らかな気分になるというか、やる気になるというか。
・・・なんて言っててこの後宿戻ってまたゴロ寝するんだけど。

よく宿泊していたクミコゲストハウスはほぼガート沿いにあるので、ドミトリーの窓からガンジス河を見る事ができた。
なので、早起きがめんどくさい朝は窓から寝っ転がりながらチラ見して、きちんと朝日を拝んだという事にしてしまうのだ。

そしてのんびり宿の外へ出てチャイをとりあえず飲み、今日一日をどう過ごそうか友達と話したりするのだ。

バラナシでの過ごし方は色々だ。

例えば、リキシャをつかまえて6㎞ほど北へ行けば、ブッダが初めて説法を説いた場所だと言われているサールナートという仏教の聖地があって、現在はダメーク・ストゥーパという仏塔や鹿などがいる公園として整備されている。
日帰りで行ける距離なので、ちょっとしたデイトリップに最適。
こちらがダメーク・ストゥーパ。

こちらが鹿たち。手塚治虫の「ブッダ」では菩提樹の下で最初に鹿に対して説法を行う場面があるのを思い出す。

ワニもいる。このワニも手塚治虫の「ブッダ」の中で出てきたワニとそっくり。

他の過ごし方でよくあるのが、何かを学ぶという過ごし方。
ヨガだったり、シタールというインド独自の弦楽器だったり、タブラーという太鼓だったり。
以前は一切無かったのに、近年ではなぜかジャンベ教室も見かけるようになった。
ただし、シタールとタブラーは一ヶ月やそこら習っただけでは話にならないぐらい難しい楽器だという事を付け加えておこう。

各楽器教室は、教えるだけじゃなく週に1~2回ライブ演奏を行っているところもある。
私が行った時は一人100ルピー払って12畳ぐらいの教室に座って、シタールとタブラーの演奏を聴くってものだった。
シタールとタブラーの音楽は、非常にサイケデリックで、インド人にしか奏でられない音楽だ。
どういうリズムでどこで呼吸を合わせているのかもわからないぐらい。
それをたった100ルピーで生演奏を間近で観賞できるのはとても贅沢。

ついでにヨガは、ちゃんとやりたいならリシケシュとか本場に行ってやった方がいいかも。
私が少しだけ通ったバラナシのヨガ教室の先生はヨガだけじゃなく両替もやっててカネカネしていて残念だったから。

あとは少し歩いて映画を見に行くのもいいだろう。
最近はシネマコンプレックスみたいな映画館もできてきているし。
昔の古臭い映画館も味があっていいんだけど。

ただ、楽しい事ばかりではいられないこともある。
バラナシに限らずインドでは貧しい人を目にする事は避けられないので、貧困問題についてイヤでも考えさせられるのだ。

ある時、ダシャーシュワメード・ガートから宿に戻ろうと歩いていた時のこと。
明らかに貧しい人達がたくさん道端に溢れかえっていて、みな座り込んで通りゆく人に「バクシーシ(恵んでくれ)」と声をかけていた。手には器を持っている。
食べ物やお金を恵んでもらおうと集まっているのだ。
いつもはこんなにたくさんいないので、何かの行事だったのかもしれない。
とあるインド人の裕福そうなおっさんが、施し用に準備していたのか、袋に入ったお米をひと掴みすると、貧しい人達に向けまるで豆まきかのようにバッと投げ散らかしていった。
貧しい人達はばらばらと降ってくるお米をうまく器で受け取ろうと必死だった。
そんな中でまだ3~4歳ぐらいの小さな女の子は、お米が宙を舞って降ってくるものだから、笑顔で手を上げてくるくる回って喜んでいた。
お米は回っている女の子に頭や肩などにパラパラと当たりながら地面に落ちた。
私はなんだかやるせない気分になってうっすら涙目になった。

日本では誰かから何かを恵んでもらうってのは卑しい行為だという概念がある。いくら貧しくても施しは受けないのが美徳といったような。
情けは人の為ならずなんて諺だってあるし。
まぁそれはそれでいい。
でもインドでは貧しい人達が恵んでもらうのは当たり前だ。
そして施しをする側も当然のように分け与える。
それがたとえお米を投げて与えるような行為でも善行なのかもしれない。
まぁそれもそれでいい。

裕福な人と貧しい人。

長い長い時間をかけて作り上げてきた、ほどくことのできない社会問題がインドにはある。(どの国にもそれぞれ社会問題があるけど)

6回に分けて長々とバラナシについて語ってきましたが、これで終わりです。
色んな意味で、自分にとってはバラナシは思い出深い場所。
インドにまた行きたいと思うのはバラナシがあるからだ。

そこでは遥か昔から聖なる河ガンジスが流れていて、人々の日々の暮らしから出る垢をずっと全て受け止めてきた。

ゴミ。遺体。祈り。貧困。輪廻転生。病気。花。生と死。混沌。ここでは一切が流れていく。


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