ああ、ココロがチリチリする。
数日前に大事な人間関係を失ってしまったからだ。
さっき山田かまちの「17歳のポケット」を読んだからだ。
ぽっかり穴が開いたココロでかまちの叫びに触れてしまったからだ。
![](https://i0.wp.com/blood-field.net/wp-content/uploads/P_20180606_164612.jpg?resize=506%2C675)
17歳のポケットを開くと、かまちの詩がたくさん綴られている。
それらはもはや詩とは呼べない。叫びだ。
だって、愛や青春の清らかさを謳う訳でもなく、花の美しさを謳う訳でもなく、空を飛ぶ鳥の気高さを謳う訳でもない。
ひたすら自己と向き合い、悩み、苦しみ、願い、欲している感情が文字になって紙にぶつけられているのだ。
一人の女性を強烈に愛する感情。
次から次へと湧きでてくる疑問と問い。
詩における型式もスキルも何もあったものではない。
でも、だから、痛いほどに響いてくる。
詩や絵や音楽でなんとか発散させていないとはちきれてしまう程の純粋なかまちの”生”が。
私達大人が忘れたものをかまちは今でも持ち続けたまま。
しかし不思議だ。
かまちは17年間しかこの世にいる事ができなかったのに、この世の理についてかなり深く理解し語っている。
アンネの日記を読んだ時も同じ感想を抱いた。
山田かまちにしろアンネ・フランクにしろ、なぜ若くしてこの世の理を理解できていたのだろう。現代よりも圧倒的に情報が遠かった時代に。
後世に芸術を残す事ができる数少ない選ばれた者たちだからか。
![](https://i0.wp.com/blood-field.net/wp-content/uploads/P_20180606_173452.jpg?resize=780%2C585)
自分にも覚えがある。
小学生高学年から中学生ぐらいの頃の、何に対してなのかすら理解できてないままの苦悩や不安や焦燥感。
気が付いたら大人になってて、簡単に”常識”や”理性”で感情を抑えられるようになって、どんなに辛くても当時と同じ感情を感じることはなくなってたけど。
あ、かまちの叫びを読んでいるうちに、なんだかココロの穴がふさがってきた気がする。
かまちの懊悩に比べたら自分の悩みなんか大した事じゃなかったように感じるからだ。
私が悩み苦しむ代わりに、かまちが悩んでいてくれてる。
![](https://i0.wp.com/blood-field.net/wp-content/uploads/P_20180606_173333.jpg?resize=780%2C585)
それにしても、山田かまちのご両親がつけた名前がすごい。
「かまち」
かっこいい。平仮名ってのもいい。
かまち自身かなり気に入ってたようで、詩に時々自分の名前を使ってる。
例えば「雪」というタイトルの詩では冒頭、
「かまち かまち 雪が呼んでますよ」
ってフレーズで始まるのだが、どこか神秘的で雪の妖精が呼び掛けているような感じがする。けどもし名前が「かまち」じゃなく「のぶてる」だったとしたら、
「のぶてる のぶてる 雪が呼んでますよ」
って何か一気に雰囲気が変わっちゃう。
実家の階段下からお母さんがのぶてるを呼んでるだけでしょこれ。
全国ののぶてるさん例えに出してすいません。
あー、ココロがやさぐれていたけど、だいぶ落ち着いてきた。
ありがとう、かまち。
またココロに穴が開いたら17歳のポケットを開きます。
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山田かまち17歳のポケットを開く
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