江戸時代から続く宿場町 福島県大内宿

江戸時代の町民気分で散歩してみよう。

福島県の南会津群に、大内宿というかつての宿場町があります。
江戸時代、江戸幕府が各地の大名達の財政を疲弊させるために参勤交代を強いたわけですが、その結果幸か不幸か各地で宿場町が重要な休憩地点として開かれることになりました。
ここ大内宿は江戸まで続く会津西街道にあり、若松城から江戸までの一週間程の旅程の途中で宿場として使われておりました。
江戸時代末期の会津戦争でも戦禍を免れ、今でも当時の面影が残っておりその姿を見る事ができます。

私も北海道へ単車一人旅をした帰り道に大内宿へ寄ってみました。時期は11月中旬で、ところどころ紅葉のため木々が赤くなっていたのを覚えています。
では、ぶらぶらと歩いて見ていきましょうか。

まずは象徴的な茅葺き屋根の民家を。
まるで日本昔ばなしに出てきそうですね。縁側があって、おそらくは囲炉裏の煙を逃がすための天窓があって、畑があって。きっと気の良いおじいさんとおばあさんが住んでいて、柴犬を飼っていることでしょう。
裏手にすぐ畑がありますが、大内宿は、江戸時代途中に会津西街道から白河街道に変更されてしまったために宿場町としてだけではやっていけなくなり、農業を同時進行で営む、「半農半宿」の形だったと言われています。

土産物屋や蕎麦屋がたくさん並ぶ通りをひとまず流して歩き、通りの奥にある子安観音堂までの階段を登りましょう。ここへ登って振り向くと大内宿の全体像がつかめます。

やっと着いて振り返ってみました。

ちょうど紅葉した木々が彩りを加えてくれています。

少しズーム。

こうしてみると、茅葺き民家が意外と大きいのがわかります。広さはともかく、屋根が高い!
この辺は冬は雪がかなり降るようなので、きっと雪を屋根から落とすために角度をつける必要があるのでしょう。そして各家屋が一定の間隔を空けて建てられているのも、雪が落ちるスペースを確保しておくためだろうな、きっと。



さて、なんとなく全体を把握したところで通りの両脇に並ぶ店を見ていきましょう。

こちらでは湯呑を中心に置物やフォトフレームなどが売られています。のれんにストラップなどが吊られているのがニクイですね。


この店はすごい勢いでちりめん細工が所狭しと置かれたり吊られたりして売られています。もしかして全部手作りなんでしょうか。それともどこかから仕入れてるのでしょうか。
私のイメージでは、江戸時代は長く続いた戦乱の世がひとまず終わり、初期と末期の期間を除いてざっと200年ほどの間は大きな時代のうねりもなく各方面で文化を昇華させていった時代だと感じています。
例えば歌舞伎であったり浮世絵であったり文学であったり・・・。また、庶民の間では囲碁や将棋や折り紙なども町人文化として盛んだったようです。その一つにやはりちりめん細工もあります。
ちりめん細工のあの手触りとか感触っていいですよね。しかもここのはよくあるネコとかのモチーフではなく、柿や唐辛子などを吊るして干してる庶民的な部分をちりめん細工で作っているのがかわいらしい。

蕎麦屋がありました。これでもかと看板を掲げまくってます。
でも看板より注目したいのは、茅葺き屋根の分厚さです。かなりの密度で茅葺きがギュッと詰まっているのがわかります。でもそりゃそうですよね、それぐらいしないと雨風しのげないですもの。

ところで会津では高遠そばと呼ばれる蕎麦があって、箸ではなくネギで食べる風習があるって聞いたんですけど本当なんですかね?
→<後日追記>
もう一回訪れてネギで食べてきました。→江戸時代から続く宿場町 福島県大内宿②

といった感じで福島県は南会津郡にある大内宿を散歩してみました。交通は若干不便ではありますが、観光するのに半日もかかりはしないので、ぜひ一度訪れてみて江戸時代の町民気分で散歩してみてください。
日帰りの観光でも、どこかで一泊して他にもあちこち福島観光をのんびり楽しんでみるのでもいいですね。

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江戸時代から続く宿場町 福島県大内宿②
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投稿者:

ぐるじあ

日本人。10年ぐらい日本国内や海外を時々旅して時々働いて過ごしてきて、最近になって恥を忍んでそれらをネットで公開しています。信念は特にないです。

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