私は、小さい頃から「道」が好きでした。
坂と路地とネコと。尾道を歩く①
坂と路地とネコと。尾道を歩く②
書道とか柔道とか究める方の道ではなく、ほんとに道路の道が。
なぜかはわかりません。が、一つだけ、自分の中で原因はこれじゃないかなというのがあります。
それは、家の本棚にあった「おしいれのぼうけん」という絵本です。幼稚園で昼寝の時間に大人しく昼寝しないイタズラ坊主二人が先生によって押入れの中に閉じ込められるのです。
そこはネズミばあさんが出るという幼稚園児にとっては恐ろしい場所であり、押入れに閉じ込められるというのは非常に怖い罰だったのです。
二人はネズミばあさんから逃げます。そこで、周りには誰もいない高速道路みたいな立体道路を走ります。あたりは暗く、街灯だけが光っています。
しかし、ふと気づくと街頭だと思ってた灯りは、ネズミばあさんの子分のネズミ達が立ったまま爪に火を灯して照らしていたのでした。
そしてネズミばあさんはビルの上に座っていて(なぜかいきなり巨大化してる)、二人を不適に笑って見下ろして・・・

・・・とまぁこれが「押入れの冒険」の1シーンなんですが、その誰もいない立体道路というのが現実的であり非現実的でありちょっと怖くもあり行ってみたくもあり、幼い私の脳裏に強く焼き付いたのです。
ほんとに、とっても面白い絵本です。

おしいれのぼうけん (絵本・ぼくたちこどもだ) [ 古田足日 ]

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感想(136件)

そんな私にとって、路地を歩くのは非常に楽しいもの。路地はできれば広くなくちょっと狭いぐらいがいい。
それから、まっすぐではなく、微妙に曲がりくねっていて先が見通せないのがいい。先に何があるのかわからないより、何があるんだろう、ちょっと覗いてみようかなと思わせるのがいい。
そこでイヌやネコや昆虫に会えたらなおいい。




生活のニオイがする。誰かが晩ごはんの用意をしているニオイだ。
道が狭くて、薄暗くて、昔ながらな雰囲気で、肺の奥深いところがくすぐったい。

自分は鉄オタではないけれど、この線路の下を歩道が通ってる感じは見るの初めてで、なんかいい。
この下で電車が通過するの待って音を聞いてみたら、どんな音がするんだろう。
ガタンゴトン?ガガガガ?ゴゴゴゴオオ?

はは、今度は線路渡ったらすぐ神社の参道だ。これも初めてみる。
この神社で祀られてる神様がこの参道を通る時も、踏切がおりたら神様は待ってるのかな。

西日が。
一人であてなく旅をしていて、毎日避けられないもの。それは空腹と日暮れと睡眠。
日中に移動を続けてきて、腹が減って疲れて自分でも何の為にこんな事してるか自問自答してしまう。
でも今日の寝床がまだ決まってない。日が暮れる前には寝る場所を見つけないと。
俺の背中を。
ホテルには泊まる金銭的余裕はない。カオサンロードみたいにそこら中に安宿があるわけもない。
せめてマンガ喫茶でもあれば。くそっ歩きすぎて足が痛い。イシャはどこだ!
ああもう眠たい。
西日が俺の背中を照らす。

日が暮れてしまった。まだ晩ごはんも食べてないし、どこで寝るかも決まってないのに。
でも坂にそそられてしまうから。この坂を上って行ったらどんな景色なんだろうと思ってしまうから。歩くのを止められない。

お寺。お墓。生前と死後が同時に存在している。
夕暮れ。生者も死者も眠る。
都会の喧騒はいつだって街を明るく見せかけ、死のネガティブなイメージを覆い隠してる。
けど、本来は死のイメージを身近に感じてた方が、生の実感をより感じられる。
なんかふいに普段考えないような事が頭に浮かんでくる。
なぜだろう。
夕暮れ。

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