これまでの簡単なあらすじ。
ひょんなことからマレーシアのボルネオ島タワウという街からフェリーでインドネシアのタラカンという街に国境越えをした私はオカマのインドネシア人と出会い、オカマの家で泊まらせてもらうことになった。
オカマに連れられ入ったマングローブ生い茂る公園にはボルネオ島固有種のテングザルを見る事ができて驚き。
そして次に連れられて行った場所とは・・・?

マレーシア(タワウ)からインドネシア(タラカン)へ国境越え その1<ビザ取得>
マレーシア(タワウ)からインドネシア(タラカン)へ国境越え その2<オカマとテングザルに会う>



テングザルがいた公園を出て車で移動しているうちに、段々と夕暮れ時になってきた。空気は生温かい。

車は地方のスタジアムみたいなところの駐車場に停まった。スタジアムの周りにはたくさんの人がいて賑やかだ。
なにかのお祭りなのか、スタジアムの周りを囲むように屋台が立ち並び、そこかしこに飾り付けが施され、子供達は楽しそうだった。

残念ながら、この時まだインドネシアに慣れてなくて警戒心が強かった私はデジタル一眼レフカメラを首から下げてたら狙われるんじゃないかと心配してカメラはカバンの中にしまったままだったので写真は無い。

けど、雰囲気は気に入って気分的にはかなりワクワクした。
できたらゆっくり色々買い食いとかしたかったけど、オカマが次にパーティーがあると言って割とすぐ移動してしまった。

移動した先はまた賑やかな会場で、大きくてきらびやかなステージがあって着飾った男女が座っている。

そのステージの男女に向かって列ができていてオカマと私はその列の最後尾に並んだ。順番に挨拶をしている。

えと・・・これ結婚式だよね?誰の結婚式?というか、俺なんて入っても大丈夫なの?

両家は結構金持ちなのか、ステージの装飾も新郎新婦の衣装もかなり豪華だ。
ますますこんな小汚い格好の外国人がまじって大丈夫なのか心配だったけど、まぁオカマが大丈夫だと言うんだからきっと大丈夫なのだろう。

新郎新婦との挨拶を無事終え、テーブルにつくとそこにはなんかおばさま軍団がいた。
日本人が同席するなんてよほど珍しいのだろう、おばさま軍団はオカマを通じて散々質問してきては私の返答を茶化しながらゲラゲラ笑っていた。
ババアどもとオカマ。ここでも衣装や財布などに身なりの良さがでている。裕福なババアどもなのだろう。

写真に撮られ慣れていないせいなのか、あんだけゲラゲラ笑っていたのにみんな表情が固い。

写真撮れ撮れ命令するくせにカメラを向けると急に無表情になるのはなぜなんだ・・・。
なんなの、この写真から染み出る圧力は・・・。

新郎新婦と全然無関係だった私もちゃっかりテーブルに出された食事をいただいた。
写真を見てもらえればわかるけど、箸はもちろんフォークなどはなく、串で出てくる料理ばかりだった。確かにそれならこういうあちこちのテーブルに移動するような披露宴では食べやすくていいかも。
ちなみに、イスラム教徒の国なので祝いの席でも酒は出ない。水はプラカップに封をされたミネラルウォーターを飲むのが一般的。

祝いの席なので、生演奏による歌と踊りがあった。

海外の結婚式は賑やかだ。
演奏は主に民族楽器が使われている。
演奏家たちに混ざって太鼓で遊んでいるチビッコ。ちくしょう、かわいいぜ。


そんなこんなで披露宴は終わった。
知らない誰かの結婚式に出るなんて日本ではまず無いことだし、面白い体験であった。

オカマの家に戻り、シャワーを浴びさせてもらった。

タラカンから南に向かうフェリーがあるらしいので、明日はそのフェリーの切符を買ってできれば明日中に移動するつもりでオカマにもそう伝えた。

しかしこれからある意味最大の難所を乗り越えなくてはいけない。

だって、ベッドが1つしかないからって、オカマと同じベッドで寝ることになったんだもの。

オカマに襲われることなく明日の朝を迎えられるのだろうか。

ベッドはダブルサイズぐらいだった。「グッナイ」と言って端っこの方に寄ってオカマに背を向けてくるまって物音に警戒しながら目をつぶっていた。

しばらくしても不審な様子や物音は無い。

まぁこれなら大丈夫かなと思ってるうちにいつの間にか寝付いていて、無事に朝を迎えた。あーよかった。

朝、オカマの妹と甥っ子に鶴を折って見せた。
甥っ子は喜んで自分でも折ろうとしたがなかなかうまく折れなかった。
こちらも英語で折り方をうまく説明しようとしたけどできなかった。
まぁ英語で説明できたところで甥っ子には伝わらなかったけど。

オカマは笑顔で私に任せなさいみたいなノリで鶴を折り始めた。
出来上がって自信満々に見せてきたが全然意味不明な物体だった。
何がしたかったんだ。
そしてなぜか着替えて出てきて座り込んで写真を撮れと言いこの笑顔。

なんか変わったオカマだったなぁ。
結局ただの親切な人だった。
色々心の中で思っててごめんなさい。

最後、荷物まとめて車でフェリーの発着所まで連れて行ってもらい、オカマが窓口で切符の購入の通訳をしてくれた。当日の夕方発の便の切符が買えた。良かった。お金は確か2,500円ぐらいだった気がする。

このフェリーではバリ島までは行けないが、とりあえず南下はできる。
これでバリ島に向け少し前進といったところだ。
オカマは最後に自分の電話番号を書いた紙を渡してきて、ジェスチャー付きで「Call me.」と笑顔で言い、去って行った。

それにしてもオカマにはほんとに色々とお世話になったし貴重な経験もさせてもらえたから非常に感謝してます。

タリマカシバーニャ(インドネシア語で「とてもありがとう」)。

フェリーは、2泊3日行程で、これまた辛く楽しい旅路になるのですが、それはまた次回「旅の一コマ インドネシアでの船旅」編で。


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